名古屋地方裁判所 昭和54年(レ)14号 判決 1980年4月24日
控訴人 廣瀬三郎
右訴訟代理人弁護士 鍵谷恒夫
被控訴人 加納孝宏
右訴訟代理人弁護士 伊藤敏男
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は控訴人に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和五三年七月一日か.ら右明渡完了に至るまで一か月金三万五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
四 この判決は、主文二項のうち金員の支払を命ずる部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一(当事者の求めた裁判)
控訴代理人は、当審において請求を減縮し、主文一ないし三項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
第二(当事者の主張)
一 控訴人の請求原因
1 控訴人は別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)を所有している。
2 被控訴人は、昭和五二年一月以前から現在に至るまで、本件建物を占有している。
3 本件建物の右昭和五二年一月当時の賃料は一か月金三万五、〇〇〇円であり、被控訴人の右不法占有によるそれ以降一か月あたりの損害は少なくとも同金額を下らない。なお、控訴人は、昭和五三年六月分までの右損害金を受領している。
4 よって、控訴人は被控訴人に対し、所有権に基づき、本件建物の明渡を求めるとともに、昭和五三年七月一日から右明渡完了に至るまで一か月金三万五、〇〇〇円の割合による賃料相当額の損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被控訴人の認否
1 請求原因1項の事実は認める。
2 同2項の事実も認める。
3 同3項の事実のうち、昭和五二年一月当時の本件建物の賃料が一か月あたり金三万五、〇〇〇円であったことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同4項は争う。
三 被控訴人の抗弁
1(一) 被控訴人は、昭和五〇年二月一日控訴人から、使用目的を美容院営業(店舗兼居宅)とし、賃料を一か月金三万五、〇〇〇円と定めて本件建物を借り受けた。
なお契約書には、被控訴人の実母訴外杉森孝子(以下、杉森という。)が賃借人、被控訴人が連帯保証人として記載されているが、これは、当時、被控訴人が独立して美容院を営業する資格を有しなかったために便宜上そのような記載になったにすぎず、実質上の賃借人が被控訴人であることは、控訴人より送付されてきた建物賃貸借契約解除通知書なる文書(甲第三号証)の宛名が杉森と被控訴人の両名になっていることや、本件訴訟前に行なわれた一宮簡易裁判所昭和五一年(ユ)第一八号建物収去等調停事件の調停(以下、本件調停という。)成立後、控訴人が被控訴人に対して、これからは家賃の支払を怠らないようにと述べたことからも明らかである。
(二) 仮に昭和五〇年二月一日に締結された賃貸借契約の賃借人が杉森であったとしても、右賃貸借契約締結と同時に、将来被控訴人が美容院の営業資格を取得した場合、杉森は被控訴人に対して本件建物の賃借権を譲渡することとし、控訴人は右譲渡を予め承諾する旨の特約が口頭にて成立していたところ、被控訴人は昭和五〇年一二月二五日、一宮保健所長より美容師法一三条に基づく確認を得てその営業資格を取得し、控訴人もこの事実を了知したので、右特約に従い、同日から被控訴人が本件建物の賃借人となったものである。
2 仮にそうでないとしても、被控訴人は昭和五三年一〇月一一日、控訴人より使用目的を美容院(店舗兼居宅)とし、賃料を一か月金三万五、〇〇〇円と定めて本件建物を借り受けた。
即ち、被控訴人は本件建物の賃料として一か月金三万五、〇〇〇円の割合による金員を控訴人宛に供託していたところ、昭和五三年一〇月三日控訴代理人から被控訴代理人に対し右供託金を本件建物の使用損害金として受領する旨の申出があったので、被控訴代理人は同年一〇月五日控訴代理人に到達した内容証明郵便により、右供託金は本件建物の賃料として受領したものと解釈する旨回答したのであるが、控訴人は、その後同年一〇月一一日、被控訴人が昭和五二年九月分までの賃料として供託した金六七万五、〇〇〇円の還付を受けた。
ところで、弁済供託の制度は供託原因によって特定された債務から債務者を解放するものであり、被供託者たる債権者がその還付を受ける場合、法務局は右債務の内容として供託物を交付するものであるから、債権者は後日供託原因によって特定された債務とは異る債務の内容として供託物を受領した旨の主張をすることは許されないと解すべきである。従って、控訴人と被控訴人との間に、前記1項の、(一)、(二)のとおりの賃貸借契約が成立しなかったとしても、民法一一九条但書の趣旨により、控訴人が供託金(賃料)の還付を受けた行為は、供託書記載の内容の賃貸借契約(抗弁1(一)項参照)を締結する「新たなる」意思表示をしたものと見做すべきである。
また、被控訴人の前記供託行為は、供託書記載の内容の賃貸借契約の申込と解すべきところ、控訴人は、前記のとおり、被控訴代理人から供託金の還付を受けた場合は賃料として受領したものと解釈する旨の内容証明郵便を受取っておきながら、当該法務局に対して特段の留保の意思表示をすることなく、そのまま供託金の還付を受けたのであるから、右申込を承諾したものと解すべきである。
3 また、控訴人と被控訴人との間に賃貸借の成立する余地がないと仮定しても、控訴人と杉森との間に昭和五〇年二月一日締結された本件建物の賃貸借(前記1項(一)の約旨のほか、被控訴人もこれを使用できる約定)は、昭和五二年一月五日付控訴人の内容証明郵便をもって賃料不払を理由に一旦解除されたものであるところ、賃貸人たる控訴人は、前記のようにその後昭和五三年一〇月一一日、賃料の供託金(この供託は被控訴人名義のものであるが、賃借人杉森によるものともいえる。)の還付を受けたのであるから、右解除の意思表示を撤回したものと解すべきであり、従って、被控訴人は控訴人と杉森との間の右賃貸借契約に基づき本件建物を使用、占有することができる。
4 仮に控訴人、被控訴人間に本件建物の賃貸借契約が締結されなかったとしても、前項のように、控訴人は、被控訴代理人より、本件建物の賃料として供託した供託金を控訴人が還付を受けた場合は、使用損害金でなく賃料として受領したものと解釈する旨の通知を受けながら、あえてその還付を受けたのであるから、被控訴人に対して本件家屋の明渡を求めることは信義則に反し、権利濫用として許されない。
5 被控訴人は、昭和五〇年一月二五日杉森から同人が権原に基づいて本件建物内に設置した別紙代金目録記載の造作(以下、本件造作という。)を譲り受け、その所有者となったので、被控訴人は控訴人に対し、これらを時価相当額金四二七万五、四〇〇円で買取ることを請求し、被控訴人はその支払があるまで本件建物に対し留置権を行使する。
四 抗弁に対する控訴人の認否
1 抗弁1項の事実はいずれも否認する。
控訴人が本件建物を賃貸したのは、当初から杉森に対してであり、さればこそ本件調停においても控訴人はそれを前提とした申立を行なっているし、成立した調停調書によってあらためて確認された賃借人も杉森一人であったのである。建物賃貸借契約解除通知書の宛名に被控訴人の名前が加えられているのは、同人が杉森の連帯保証人であり、かつ事実上の同居人であることから、控訴人の明渡請求の意思を明白に表示する必要があったからにすぎない。
2 同2項の事実のうち、被控訴人が供託を続けていたこと、被控訴人主張のとおり控訴代理人から供託金を使用損害金として受領する旨申出をしたこと、被控訴代理人より賃料として受領したものと解釈する旨回答があったこと、及び控訴人が供託金の還付を受けたことはいずれも認め、その余は否認ないし争う。
控訴人の被控訴人に対する明渡請求の意思は極めて強固なものであり、和解ないし宥恕の意思は全くないうえに、供託金は賃料として受領したものと解釈する旨の被控訴代理人からの通知に対し、控訴人或は控訴代理人は明示的にも黙示的にも同意したことはないので、控訴人が供託金の還付を受けたことをもって、控訴人、被控訴人間において本件建物に関する賃貸借契約が締結されたと見做すことはできない。
3 同3項のうち、控訴人と杉森との間にその主張のような賃貸借契約が成立し、これがその主張のとおり解除された事実は認めるが、その余の事実は否認する。控訴人の還付を受けた供託金は、被控訴人名義の供託によるもので、杉森名義のそれではないから、右供託金の還付をもって杉森に対する賃貸借契約解除の意思表示の撤回とみることは矛盾である。
4 同4項の主張も争う。
5 同5項は否認ないし争う。
被控訴人が適法な賃借人でない以上、造作買取請求権を行使することはできない。
第三証拠《省略》
理由
一 本件建物が控訴人の所有であり、これを被控訴人が昭和五二年一月以前から占有していること、右昭和五二年一月当時の本件建物の賃料が一か月金三万五、〇〇〇円であったことはいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、以下被控訴人の抗弁について順次判断することとする。
1 まず、右抗弁1の(一)、(二)について検討するに、原審における証人杉森孝子の証言及び被控訴人本人尋問の結果(第一回)中には、昭和五〇年二月一日に締結された本件建物の賃貸借契約の実質上の賃借人は被控訴人であり、仮にそうではないとしても、控訴人の承諾を得て同年一二月二五日に杉森より被控訴人に対して賃借権が譲渡された旨、被控訴人の主張に沿う部分の供述があるけれども、《証拠省略》によれば、建物賃貸借契約書に賃借人として署名押印しているのは杉森であって、被控訴人は連帯保証人としてこれに署名押印しているにすぎないばかりか、右契約書の第一六条には「契約者以外如何なる名称を以てするも他人又は使用人だけの使用をなさざる事(後略)」との特約事項が印刷文言の後にわざわざ書き加えられていること、《証拠省略》によれば、控訴人は、右契約成立後間もない昭和五〇年三月二五日ころ、杉森が本件建物を訴外苅谷章子に転貸したことを理由に明渡を求めていること、《証拠省略》によれば、控訴人は、昭和五一年四月ころ、杉森が本件建物を被控訴人に無断転貸したこと等を理由に被控訴人及び杉森を相手方として本件建物の明渡等を求める本件調停を申立て、同年一〇月一二日成立した調停調書の一項において杉森が本件建物の賃借人として確認された(但し、本件建物中の店舗部分については、杉森と被控訴人が美容院として使用することを認める。)こと、以上の事実がそれぞれ認められ、これらの各事実からすれば、控訴人は杉森との間で本件建物の賃貸借契約を締結したものであって、契約当初より賃借人を中途変更することはもちろんのこと、杉森以外の者に賃貸しない態度を貫いていたことが窺われ、そうとすれば前掲各供述はたやすく措信することができない。また、甲第三号証(建物賃貸借契約解除通知書)の宛名が杉森と被控訴人の両名になっているのは、前記認定のとおり、控訴人が、本件建物の店舗部分の使用を被控訴人にも認めた関係上、被控訴人に対しても明渡請求の意思を明確に知らせようとした配慮によるものであることが容易に推認され、結局抗弁1項の事実を認むべき証拠として採用するに足りない。そして、他に右抗弁1項の事実を認めるに足る証拠はない。
2 次に、抗弁2項について判断する。
抗弁2項のうち、被控訴人が本件建物の賃料として一か月金三万五、〇〇〇円の割合による金員を供託していたところ、昭和五三年一〇月三日ころ、控訴代理人より、被控訴代理人に右供託金を使用損害金として受領する旨申出があったので、被控訴代理人は昭和五三年一〇月五日控訴代理人に到達した内容証明郵便をもって右供託金は賃料として受領したものと解釈する旨回答したが、控訴人はその後同年一〇月一一日、被控訴人が昭和五二年九月分までの賃料として供託した合計金六七万五、〇〇〇円の還付を受けた事実は当事者間に争いがない。
ところで、《証拠省略》を総合すると、控訴人が前記供託金の還付を受けた経緯としては、本件訴が原審に係属中の昭和五三年九月ころ、控訴人は宅地の購入資金と所有家屋の改築等の費用が必要となったので、控訴代理人の助言によって賃料として被控訴人が供託した金員を使用損害金として受領することとし、控訴代理人をしてその旨被控訴代理人に通知させ、その直後被控訴代理人から控訴代理人に前記回答があったが、控訴人はこの回答を知らされないまま前記供託金の還付を受けたものであって、控訴人はこの間一度たりとも被控訴人に対して本件建物の明渡を宥恕する意思を表明したことなく、一貫して本訴明渡の請求を維持している事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右事実関係からすれば、控訴人は賃借人でない被控訴人の供託した賃料名下の供託金を、使用損害金として受領する旨留保の意思を被控訴代理人に伝えて受領したことが明らかであるから、右供託金の還付の一事により新たな賃貸借契約を締結したものと認めるのは相当でなく、他にこれを肯定すべき特段の事情を認めることはできない(最高裁昭和三九年二月一四日判決裁判集民事七二巻一七一頁、同昭和四四年七月二四日判決判例時報五七一号四四頁参照。)。なお、被控訴代理人の前記回答は、被控訴人側の見解を示したものにすぎず、これによって控訴人側の前記留保の意思表示の効力が失われるものと解するのは相当でない。また、被控訴人は民法一一九条但書を根拠に追認の主張をもしているが、同条項の追認はある法律行為が無効の場合に適用されるものであって、本件のように当初から存在しない賃貸借契約について右の追認による効力を認める余地はない。
従って、右抗弁2項の主張も採用することができない。
3 更に、抗弁3項についてみるのに、控訴人と杉森との間に、昭和五〇年二月一日、本件建物の使用目的を美容院(店舗兼居宅)とし、賃料を一か月金三万五、〇〇〇円、右店舗に限り右杉森の子である被控訴人も使用することができるとの約定によりその賃貸借契約が成立したこと、右契約が杉森の賃料不払を理由に昭和五二年一月五日付控訴人の内容証明郵便をもって解除されたことは控訴人の認めるところである。
被控訴人は、控訴人の前記供託金還付をもって右解除の意思表示の撤回があったと解すべき旨主張するが、右供託は前示のとおり賃借人でない被控訴人のなしたものであって、杉森のしたものでないことが明らかであるから、この点において被控訴人の右見解は矛盾し、首肯することができない。
従って、右抗弁3も採用するに由ない。
4 進んで抗弁4項について判断する。
前記2項説示の事情からして、留保の意思を明らかにして前記供託金の還付を受けた控訴人の処置に何ら咎はなく、右供託金(賃料)の還付をもって被控訴人に対する本件建物明渡等の請求が権利濫用とする被控訴人の右抗弁はそれ自体失当として排斥を免れない。
5 最後に抗弁5について判断する。
思うに、借家法五条によって造作買取請求権を行使しうる者は、賃貸借終了時における借家人に限られるのであり、本件の被控訴人のように、造作の所有権を譲り受けたと主張する者はこれに含まれないと解すべきのみならず、右の造作買取請求権については、これを担保するために、同時履行の抗弁権ないし留置権によって当該建物の明渡を拒むことができないことも最高裁判所の判例が明らかにするところである(最高裁昭和二九年一月一四日判決民集八巻一号一六頁、同昭和二九年七月二二日判決民集八巻七号一四二五頁参照。)から、いずれにしても抗弁5は主張自体失当として排斥を免れない。
三 以上の次第であるから、被控訴人は控訴人に対し本件建物を明渡し、かつ、昭和五三年七月一日から右明渡完了に至るまで賃料相当額の一か月金三万五、〇〇〇円の割合による損害金を支払う義務があり、従って控訴人の本訴請求はすべて理由があり、民事訴訟法三八六条に従いこれと異る原判決を取消して右請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項(但し、本件建物の明渡については、相当でないものと認め、これを却下することとする。)を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 深田源次 裁判官 大橋英夫 裁判官加藤幸雄は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 深田源次)
<以下省略>